郷土探訪2020

 

更新日:2020/02/20



比企三山巡り:2月は、ときがわ町の慈光寺(坂東三十三観音霊場の九番札所/創建673年)とした。開山1,300年の山寺であり、平安時代になるといっそう隆盛し、鎌倉時代になると源頼朝から戦勝祈願の寺として多大な寄進を受け、大寺院として隆盛を極めたとのこと。本尊は、千手観音(観音堂)と阿弥陀如来(本堂)である。国宝(慈光寺経、法華経一品経)、重要文化財(貞観大般若経、寛元の銘梵鐘、など)の多くの文化財が現存している。東松山の自宅からは、国道254号線バイパスと県道172号線(大野東松山線)を利用すると、慈光寺までは1時間程度のドライブ距離にある。観音堂下と宝物殿下に無料駐車場があり、慈光寺下まで自家用車で行ける。なお、山麓にある浄光寺入口バス停から山上の本堂まで徒歩で登ると、90分程度はかかるようである。

案内図

観音堂

浄光寺石碑

観音堂

本堂

般若心経堂

鐘楼

宝物殿


2月は参拝シーズンではないが、この時期(2/20)に慈光寺を訪れたのは、「ロウバイ/河津桜/梅が同時に咲いている」との情報があったからである。山麓から慈光寺に至る参道の両側には五十種以上のさくらが植えられており、春になると豪華爛漫に咲き誇るとのこと(近隣の各種さくらと共に「里さくらコレクション」と呼んでいる)。また、慈光寺は「シャガ」の群生地としても知られている。 

ロウバイ

河津桜

白梅

梅林



 

比企三山巡り:坂東三十三観音霊場の「慈光寺/九番札所/創建673年」、「正法寺(岩殿観音)/十番札所/創建718年」と「安楽寺(吉見観音)/十一番札所/創建806年」は飛鳥時代から平安時代初期に開山された名刹であり、「比企三山」と称されている。これらの名刹を年初の3ヶ月間(1月/2月/3月)に巡ることにし、地元の「正法寺岩殿観音)」を最初の参拝先とした。本尊は千手観音(観音堂)と阿弥陀如来(本堂)である。鎌倉時代初期に源頼朝の命で復興され、頼朝の妻北条政子の守り本尊であったと伝わっている。大イチョウやアジサイの名所としては幾度か訪問していたが、坂東三十三観音霊場として参拝したのは今回が初めてであった。観音堂(創建673年)、梵鐘(鋳造1,322年)、仁王門、本堂、などをあらためて観て廻った。松の内最後の日(1/7)であった。

 

 

正法寺

仁王門

観音堂

吽形

鐘楼

阿形

本堂

表参道


流鏑馬祭り@萩日吉神社(ときがわ町):萩日吉神社の「流鏑馬」は、3年に一度、1月第3日曜日(本年は1/19)に奉納される。萩日吉神社は、古墳時代末期(西暦537年)の創建とされ、東松山市とは県道172号線(大野東松山線)で結ばれている。自宅からは30分程度のドライブ距離にある。ときがわ町の流鏑馬は、鎌倉時代(1, 233年)に木曽義仲の家臣7氏によって奉納されたのが始まりと伝えられている。家臣7名は明覚郷(ときがわ町)と大河郷(小川町)の2郷に住んでいたとされ、家臣7名の子孫らが準備を担っているとのこと。流鏑馬祭りは、「午前10時からの神社参拝/交通安全祈願/鎮火祭/直会などを執行する朝まとう」と「午後3時からの流鏑馬を行う夕まとう」の2部構成であった。明覚郷と大河郷からの主役一行は、それぞれに設営した陣場で、馬の世話をするなどして、「夕まとう」が始まるまで待機していた。また、神社境内においては「小神楽」が演じられていた。神楽と境内の社叢は、流鏑馬とともに、埼玉県の文化財に指定されているとのこと。

夕まとう申の刻(午後3時)になると、大きな花火が打ち上げられ、流鏑馬祭りのクライマックスである「夕まとう」が始まった。数百人規模の観衆が見守る中、神官を先頭に、明覚郷・大河郷の一行が入場してきた。場所は、萩日吉神社と萩ヶ丘小学校の間の特設馬場である。今年が初観戦であり理解不十分ではあるが、流鏑馬の手順は、(1)馬場元(始点)で何十本もの矢を放つ(「四方固め」)、(2)「矢取りっ子/子供」と「介添役(弓持ち)/子供の父親」が走って馬場末(終点)に向かう、(3)「一の馬」の乗子が疾走しながら的に向かって矢を射る、(4)「二の馬」の乗子が疾走しながら的に向かって矢を射る、(5)馬場末で待機していた介添役(弓持ち)に弓を渡す、(6)「矢取りっ子」/「介添役」が弓を持って馬場元に走って戻る、(7)二人の乗子が全力疾走し馬場元に戻る、であった。この手順を所定回数(3回)繰り返していた。最後には、「扇(鞭)を持って疾走する」演舞も披露して貰えた。大きい神馬に騎乗した乗子(騎馬武者)の凛々しさが印象に残った。

前日は粉雪が舞う寒い日であったが、当日は気温も比較的高く、快適な祭り日和であった。大観衆とカメラマンの多さには驚かされた。道産子の小生にとっては、自宅から30分程度の場所で、「古墳時代に創建された神社で、鎌倉時代に開始された伝統行事が現在まで継承されている」などは信じられない(?)出来事であった。