郷土探訪2022



伝統行事巡り/伊草獅子舞(川島町):伊草神社のささら獅子舞の起源は、江戸中期の頃と云われている。神や仏に豊作と家内安全の願いをかけて、舞を奉納する村ぐるみの行事である。獅子舞保存会が昭和45年に発足し、郷土芸能として継承されている。伊草獅子舞は、善性寺の一庭から始まり、伊草神社へ向かう道中700mを道太鼓の行列で進み、伊草神社で三庭、大聖寺へ行って一庭を舞い、終了となる。伊草獅子舞は伊草神社の祭礼日(9/15)前後に奉納されていたが、最近は9月第2日曜日に奉納されるとのこと。しかしながら、本年は、コロナ禍のため中止となってしまった。そこで、獅子舞自体は来年の楽しみに残し、獅子舞の舞台(善性寺・伊草神社・大聖寺)を巡ることにした。善性寺(薬師十王堂):創建年代等は不詳ながら、当地の村民武兵衛の先祖某が護持していた大日如来像を本尊として、先祖某の戒名から善性庵と号して創建、その後一寺となしたとのこと。明治維新後廃寺となっているが、伊草獅子舞は当寺境内から始まる。善性寺から、伊草神社・大聖寺まで燈籠が立てられるとのこと。伊草神社:大聖寺が、境内鎮守として慶長年間(1596‐1615)に山王社と号して創建したと云う。山王社は伊草宿の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し村社に列格、大正2年伊草地内の諸社を合祀し、伊草神社と改称している。大聖寺:真言宗智山派の寺院で、創建年代等は不詳であるが、天正年間(1573‐1592)に東村山市宮鼻から移転したとのこと。徳川家光の帰依を受け、家光が足繫く訪れたことから、御茶室が用意されていたとのこと。また、当寺の千手観音像は、比企能員の守り本尊と伝えられている。

善性寺(薬師十王堂)

伊草神社

大聖寺



伝統行事巡り/岩殿燈籠祭り(東松山市):8月9日、10日は、「四万六千日」と云う観音様の縁日である。この縁日に参拝すると、46,000回お参りしたのと同じ功徳(一生分の御利益)があるとされる。岩殿観音正方寺(坂東札所十番)では、毎年8月9日に、地元の岩殿自治会によって、「燈籠祭り」が行われている。例年であれば、表参道~石段~境内に至るまで多くの燈籠が両脇に飾られ、境内は大勢の人で賑わうとのことであるが、今年は、コロナ禍のため、イヴェントは行わず、規模も縮小しているとのこと。かつては、表参道(九十九川に架かる「惣門橋」から「山門/仁王門」に至る坂道)の両側には、約50戸の宿坊や、旅籠、商店が建ち並び、門前町が形成されていたとのこと。現在では、当時の屋号を書いた木札が吊るされており、往時を偲ばせる。山門から境内までの区間は、急な石段である。

岩殿観音(境内)

石段(境内~山門)

表参道(山門~惣門橋)



伝統行事巡り/小川町七夕祭り:「小川町七夕祭り」は、「和紙のふるさと小川」の復興策として昭和24年(1949年)から開催されている。小川町の伝統工芸品である和紙を使用した「竹飾り」が見どころである。約1300年の歴史をもつ「細川紙」はユネスコ無形文化遺産に登録されている。コロナ禍により令和2年度は中止となったが、昨年度(令和3年)に引き続き、本年度(7/23・7/24の土日)も開催された。「小川町七夕祭り」では、北関東一を誇ると云われる「竹飾りコンクール」が開催される。町内各商店や団体は、趣向を凝らした飾り付けで、賞金を目指して競い合っているとのこと。なお、小川町は、東松山市の自宅から、電車で半時間足らずの近距離にある。


比企一族ゆかりの地/9市町村フライヤーラリー:大河ドラマ「鎌倉殿の13人」比企市町村推進協議会の『企画第2弾』として、「鎌倉殿の13人」に登場する人物にゆかりのある史跡や伝承地、観光情報が紹介されたフライヤー(チラシ)が各市町村に設置された。「比企9市町村を巡りながら9種類のフライヤーを集めることで比企ガイドブックを完成させよう!」が合言葉である。なお、「すべての種類のフライヤーを集めた方には、先着300名様に協議会特製クリアファイルをプレゼントします。」がインセンティブであった。



比企一族ゆかりの地/9市町村広報リレー:大河ドラマ「鎌倉殿の13人」をきっかけとして、比企地域の魅力を発信し、地域の活性化につなげていくため、9市町村(東松山市、滑川町、嵐山町、小川町、川島町、吉見町、鳩山町、ときがわ町、東秩父村)を中心に、比企市町村推進協議会が設立された。比企地域には比企氏・源氏にゆかりのある史跡が多く残されており、各構成市町村のホームページや広報誌等で情報発信している。9ヶ月連続企画『比企の歴史まるわかり!9市町村広報リレー』は、昨年9月にスタートし、本年5月に終了した。



比企一族ゆかりの地/大岡地区(東松山市):この地区は、比企一族に縁が深い土地で、鎌倉と同じ呼称の土地が多くある。例えば、比企尼山から南は、字こそ違え伊豆の修善寺と同じに、主膳寺と呼ばれている。その他にも、扇谷、梅ヶ谷、菅谷、滑川、腰越、大蔵などがある。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放映を機に作成された「大岡マップ/案内看板」に沿って、「比企一族ゆかりの地」を再探訪した。1城ヶ谷:比企能員の館があったと伝わる。また、比企の乱後、若狭の局(頼家の妻で、比企の尼の孫娘)に従って落ちてきたと伝わる頼家の側近の子孫が住んだとも伝わる。2扇谷山宗悟寺:江戸時代の旗本『森川氏』の菩提寺であるが、比企尼山にあった大谷寺寿昌寺(頼家の菩提を弔うために創建された寺)を現在の扇谷に移し、扇谷山宗悟寺に改名した寺。若狭の局が持ち帰ったと伝わる『頼家公の位牌』が現存している。3串引沼:夫頼家を殺害された若狭の局が、深い悲しみを断つため、「頼家形見の鎌倉彫の串をこの沼に投げ込んだ」と伝わる。現在は、「釣りの穴場」になっている。土手に並ぶ桜は、修善寺から寄贈された山桜である。4比企尼山:比企郡司の比企遠宗の妻であった比企の尼が、夫の没後禅尼となって草庵を営んだところと伝わる。また、夫頼家を殺された若狭の局も、鎌倉から逃れて移り住み、「夫頼家の菩提を弔っていた」と伝わる。5梅ヶ谷・須加谷:火伏の神様と信仰されている『秋葉神社』の西側を『梅ヶ谷』、東側を『須加谷』と呼ばれている。梅ヶ谷は、若狭の局が年老いて隠棲した所と伝わる。また、須加谷には、かつて観音堂があり、若狭の局が奉納した『蛇苦止観音』が祀られていた。今は、宗悟寺に祀られている。

大岡マップ

3串引き沼

1城ヶ谷

4比企尼山

2扇谷山宗悟寺

5梅ヶ谷・須加谷




比企一族ゆかりの地/浄蓮寺(東秩父村):浄蓮寺は、武蔵松山城主上田氏一族の菩提寺である。埼玉県にある日蓮宗寺院の中でも長い歴史を誇り、創建は鎌倉時代末、開基は大河原神治太郎光興である。「大河原神治太郎光興は、比企能員の子で鎌倉妙本寺を開いた比企能本と親交があった。」と伝わる。浄蓮寺は、「道の駅/和紙の里ひがしちちぶ」から徒歩5分程度の近距離にあり、上田氏一族の墓の他、数多くの指定文化財(中世文書、板碑、など)が残されている。


初午大祭/箭弓稲荷神社(東松山市):初午祭とは稲荷神社の総本宮、伏見稲荷大社の伏見大神が和同4年(711年)2月最初の午の日、京都伏見の稲荷山にご鎮座されたことに因んでいる。箭弓稲荷神社では、新暦を採用し、3月最初の午の日に行われる。しかしながら、2020年と2021年はコロナ禍のため中止になったので、本年が3年振りの開催であった。前日(3/5)には、恒例の火伏神事が執行された。本祭(3/6)では、境内の「神楽殿」において、奉納行事(箭弓町祭囃子、里神楽、武蔵流東松山太鼓)が執り行われた。神楽殿の前に特設されたベンチ席では収容しきれないほどの大勢の観客が集まった。多くのカラスも、笛や太鼓の音に惹かれたかのように、神楽殿の上空に集まってきた。また、境内地内には、だるま市、刃物市、植木市、屋台、が出店していた。当日は、ほぼ快晴であり、「コロナ禍も過ぎようとしている」との期待もあり、爽快な一日であった。

祭囃子

里神楽

東松山太鼓



比企一族ゆかりの地/仙覚律師遺跡(小川町):本年1月から放映予定のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、比企地域にゆかりのある武将(比企能員、畠山重忠、源範頼、木曽義仲など)や人物(比企の尼、丹後の局など)が描かれる予定である。比企地域9市町村(東松山市、滑川町、嵐山町、小川町、川島町、鳩山町、吉見町、ときがわ町、東秩父村)と比企地域の各種関係団体は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放映を契機として地域の活性化につなげようと様々な取組を行っている。比企地域には多くの魅力ある史跡や観光スポットがあり、源氏・比企一族ゆかりの地をまとめた史跡マップも作成されている。この史跡マップでは、自治体毎に「貴重なスポット」が1箇所(比企地域全体では9個所)選定されているが、「立藏家歳時記」における未訪問スポットは、「仙覚律師遺跡」と「浄蓮寺」の2箇所のみである。今月は、「仙覚律師遺跡」を訪問した。

仙覚律師遺跡:仙覚は、鎌倉時代の僧侶で、比企能員の内室の子とされる。7歳で寺入りし、13歳から新釈迦堂で修行をしながら、『万葉歌』の研究に一生を打ち込んだ。64歳で、全く読めなかった152首を含め4500首以上の歌を全て読み『万葉集』を完成させた。その後、小川に移り、『万葉集』の解説書の編纂にとりかかり、日本初の『万葉集注釈』を小川町で完成させた。小川町は、『万葉集』ゆかりの地であり、仙覚律師の業績を称える4mを超える「顕彰碑」が中城跡に建っている。昭和3年(1928)に建立された。撰文は国文学者で歌人の佐々木信綱、書は岡山高景である。なお、「中城跡」は小川町大塚にあり、鎌倉時代は猿尾太郎種直の居館で、戦国時代には腰越城主山田伊賀守の出城であったと伝わる。

顕彰碑

建立記念碑

入口指標



普光寺の火渡り修行/小川町普光寺は、地元では「中爪の大師様」と呼ばれており、生保2年(1645年)創建の天台宗比叡山の格式高い末寺である。江戸時代には上野寛永寺の直末であり、徳川幕府からの御朱印状や町指定有形文化財「絹本着色徳川家康画像」などが所蔵されている。火渡り:毎年1/3に開催される厄除け祈願の行事である。昨年は「コロナ禍」のため中止されたが、本年は従来通りに開催された。当日は、会場全体が熱気に包まれていた。火渡り行事には、山伏修行の後に、一般の希望者も参加出来る。参加者は、列をなして、白煙が上がる護摩の残り火の上をはだしで歩き、無病息災などを祈願していた。一般参加には費用(1,000円)が必要あったので、小生は参加を見送った。おみくじ:「大吉」であった。目上を敬い、目下には心を配れば、何事も順調に運ぶとのこと。付属の縁起小物は、「安寧長寿」に霊験あらたな「エビ」であった。(家内は、次女と一緒に、地元の箭弓稲荷神社に参拝した。おみくじは「中吉」で、縁起小物は「銭亀」であったとのこと。「銭亀」は、「長寿」と「金運」を兼ねる縁起物である。)

なお、ユニークなことに、「小川七福神」と呼ばれる七福神の石像が、境内(大黒天・恵比寿・福禄寿・弁財天・毘沙門天の5神)と観音堂(寿老人と布袋尊の2神)に祀られている。「火渡り行事」が開始される前の半時間程度を活用し、やや離れた場所にある観音堂の2神も含めて、七福神全部を巡回した。布袋尊には「のぼり旗」もなく、荒れた状態で放置(?)されていたのが気の毒であった。